■代言人-弁護士上村

 私が小学生の頃、『獅子の時代』という大河ドラマが放映された。菅原文太扮する会津藩士の男が明治政府への抵抗を重ね、投獄、脱獄、逃亡の果てに、秩父の困民党に合流する。しかし、蜂起した困民党軍は数日で統制がとれなくなる。一部は峠を越えて佐久地方に転戦するも、待ち構えていた鎮台兵の砲撃の前に散華する。


 合戦の舞台となった平原で、文太が農民兵らとともに鎮台兵に向けて突撃する。砲撃の音が轟く。沈黙の後、破れた困民党の旗が野ざらしになっているところが映される。兵どもが夢の跡。


 このラストシーンは、私の記憶に鮮烈に刻み込まれている。


 私は歴史も政治も知らない小学生だ。しかし、理屈抜きに困民党の農民兵らに共感し、このような人たちに寄り添って生きていきたいと願う自分がいた。

 秩父の困民党蜂起は1884年に起きた。違法な高利貸しに借財の弁済延期を申し入れるも容れられず、違法な高利貸しを放置する明治政府に対して抗議しようとした農民たちと明治政府の弾圧を受けて追い詰められた自由民権運動とが結合した。土着性と先進性とが奇妙に併存した事件である。
 
 秩父困民党の総理は、田代栄助という男だった。田代は代言人をつとめていたといわれる。代言人とは、弁護士の前身である。地元の名士などで弁の立つ者が、貧しい農民たちに代わって訴訟ごとや交渉ごとなどを行った。田代も、借金のかたに身代を巻き上げられようとしている農民たちを助けるために、高利貸しとの交渉を重ねた。自由民権運動の影響を受けた農民たちは先鋭化して武装蜂起をはやる。田代は時期尚早と押し止めていたが、ついに、困民党の総理として蜂起を指導することを引き受ける。しかし、困民党軍はあえなく鎮圧される。田代は捕らえられ、翌年処刑された。

 秩父困民党蜂起は潰え去った。しかし、悪政に抗議し自由を求める困民党軍は、一陣の風となって秩父の大地を駆け抜けた。そして、人々は密かに困民党の蜂起を語りつないだ。時代を超えたいま、私の心の中にも同じ風が吹いている。


 田代は52歳でその生涯を閉じたが、私は52歳で「代言人」となった。

(上村 昌平)

2021年04月02日